人間ちょっとした出来心ってやつを持っちまうのは仕方のないことだし、
駄目だろうなー
とか思ってもやっちまうことってあるって考えると思う。
例え【正義の味方】であろうとも
四六時中正義を体現し続けるって、そいつは難しすぎる。
そんなことできるのはもはや人間ではない
人間というカテゴリーから外れた新たなカテゴリー
『正義の味方』に分類される存在なのだろう。
だから人の身でいるうちは、俺の目指す『正義の味方』には絶対なれないだろうな
と最近は感じ始めている。
迷いが人を活かすこともあるが
多くの場合、殺してしまうことがほとんどではないか?
いや、違う
迷いを抱えたまま何もしないままでいるから、その人は駄目になっちまうんだ。
迷いつつもその歩みを止めず、
ひとつひとつ目の前にあることを片付けていけば人生なんとかはなる。
でもおれはそんなんじゃ嫌なんだ。
一つの信念を持って筋を通してその歩みを進めたいんだ
迷いなんていらない
後悔なんてしない
ブレーキなんて、いらないんだ
そう思っていた時が僕にもありました (AA省略)
今の俺の考える『正義の味方』ってやつは
『正義の味方』は
【正義の味方】
であることが重要で
〔完璧〕である必要はないと思うんだ
様々な迷いや葛藤も含めて。
〔完璧〕に、【正義】を体現し続ける必要なんてない
人の身で目指す『正義の味方』ってやつは
どうやら色々妥協しなきゃなれんもんだと、最近そう思い始めている。
いくら進路調査票に書くことがないからって
進路 : セイギノミカタ
とか
マジで書いちまうぐらい『正義の味方』に強い思い入れのあった俺だとしても
そんなに自分を過大評価しているわけじゃない
死んだ親父は生前、いつも俺にこう言い聞かせてきた
「如何なる時も余裕たれ、だが油断をしてはいけない。」
心に余裕を持つことと高をくくることはぜんぜん違う、ということだ。
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